
川越は神社やお寺、蔵造りの街並みはもちろん有名ですが、博物館もとってもおすすめなんです。
そんなことを言ってるわたしも実は小学生ぶりに行きましたww
(うん十年前ですよ!しかし館内はとっても綺麗でしたよ)
しかし先日行ってみたところ、30分で川越の歴史についてかなり詳しくなれた上に『なるほど』の連続。
徳川幕府らへんの歴史が好きな人は、絶対におすすめ!
聞いたことはあっても紐づいていなかったので、歴史を知った上で喜多院や蔵造りの街並みを歩くと、より深くおさんぽも楽しめますよね。
ということで、今回は観光の方もお住まいの方にも絶対におすすめな『川越市立博物館』についてご案内します。
非日常空間でのんびりして気持ちもリフレッシュ!こどもも一緒に歩けるし、もちろんベビーカーもOKなので赤ちゃん情報もお伝えします。
この記事の目次
川越市立博物館とチケット
9:00~17:00(ただし入館は16:30まで)
月曜日(休日の場合は翌日)
年末年始(12月29日から1月3日まで)
館内整理日(毎月第4金曜日、ただし休日は除く)
その他、臨時休館(消毒・特別整理)
一般200円(160円)
大学生・高校生100円(80円)
※()は20人以上の団体料金
ちなみに、2か所以上まわる場合は『共通入館券』がお得です。
市立博物館・市立美術館
高大学生150円(50円お得)
市立博物館・市立美術館・川越城本丸御殿
高大学生180円(70円お得)
市立博物館・市立美術館・川越城本丸御殿・川越まつり会館
高大学生400円(150円お得)
高大学生450円(150円お得)
時間が取れる方には全部まわってもらいたいーー
周辺情報
川越市役所を左に真っ直ぐすすむと
これまた左手に見えてくるのが川越市立博物館です。
その手前は美術館、右手には川越高校、そして右奥に川越城本丸御殿と初雁球場・初雁公園がありとても開けた空間になります。
それもそのはず。
現在の川越美術館と市立博物館は二の丸の跡地、川越高校は馬場だったそうです。
また、初雁公園の中には『とうりゃんせ』のわらべうたの舞台になった『三芳野神社』があるんですよーー。
こうゆうのを知るとワクワクしちゃいます♡
赤ちゃんのおむつ替えスペース
入り口には『赤ちゃんの駅』のポスターがありましたーーー
でも実際は専用スペースはなく
ここだけのようです。
受付の方に授乳室を確認すると、応接室を案内してくれるので何かあればスタッフの方に聞いてみてください。
(お湯や電子レンジなどはありませんでした)
おすすめする見学のしかた
博物館は1人でまわるのもいいですが、時間によって30分間かけて専門のスタッフが説明してくれます。
1人で30分くらい見て回りましたが、同じ30分、説明を聞いた方が1,000倍わかるし楽しめます。
絶対におすすめしますよーーー。
11:00
14:00
11:00
13:00
14:00
15:00
安心してください♡
スタッフの方に説明をお願いすると、1人でもしっかり説明してくれるそうです。
これは絶対に説明してもらってくださいね。
ここからは説明を受けて感激した内容をピックアップしていきます。
市役所の横にある『太田道灌』の銅像の意味
えーー?
あの人誰?くらいでした。
昔は。
太田道灌、本名は資長(すけなが)は江戸城を築城に携わった武将なんです。
室町時代後期の武将で扇谷上杉家の家宰。
じゃあなんで川越にいるかって、江戸城と同時期に『川越城』も築城していたんです。
この同時期ってすごいですよね。
山内上杉家と扇谷上杉家の内紛の末、風呂上りに主君に謀殺されるという悲しい最期を遂げるのですが
学問も長けていて、歌人としても名が知られた人だったようです。
詳しく知りたい方は、こちらをどうそ。
太田道灌/wikipediaより引用
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その日、歴史が動いた 諸家太田道灌、暗殺!初代江戸城の築城主が殺され、上杉謙信が後に世に出る
天海を知ればさらに歴史が楽しくなる
ささ。
時代は進んで江戸時代!!
どどーーーん!!!
こちらがかの有名な『天海』さん。
喜多院の第27代住職で、徳川家康と深い関りをもった方です。
■そののち転々とし、川越城下の無量寿寺北院(のちの喜多院)にて『天海』と名乗り、1596?1599年に第27代住職となり、『喜多院』と改める。
(この頃も頻繁に江戸城で議論している行動がみられる)
武士においては平清盛・足利義満・豊臣秀吉に次いで4人目の快挙
■家康は死に際、天海・本多正純・以心崇伝の3人を呼び、あとを託したと言われている
■大僧正となった天海は葬儀の導師を務め、家康の神号をめぐり本多・以心と争うも『東照大権現』の主張を通し、家康の遺体を久能山東照宮から日光東照宮に改装
2代目将軍徳川秀忠・3代家光も天海を厚く信頼し、幕政において天海の権力は頂点に達する
■当時515社、家康を祀る東照宮が建立され、現在も130社が残っている
■1624年には天台宗関東総本山として上野に寛永寺を創建(こちらドラマでもでてくる徳川家御用達のお寺)
■晩年家光に何度も見舞いを受けた天海は1643年10月2日寛永寺で没する、108歳(煩悩のとし)とされているが所説あり。
■天海は遺言により、家康が眠る日光山に埋葬される
うわ。
全然簡潔にまとまってないですね。でももっと言いたいことが…
とにかく徳川家とのつながりがすごいですね。
もっと話したいですが、それは『喜多院編』にとっておきますね…
川越の大火を経た蔵造りの街並み
明治23年(1893年)3月17日に発生した川越大火は、町の全戸数3315戸の内、1302戸を焼失するという大きな被害を受けています。
当時の消防設備は数十台の龍吐水と1台のポンプがあっただけで、消火にはほとんどなす術がありませんでした。
不幸中の幸いですが、歴史的にみても奇跡の大火事です。
周りが全焼する中、大沢家(国の重要文化財)などの蔵造りの建物は現在でも残っています。
大沢家では裏に水槽の大きなものが造ってあり、むしろをつけ水を含ませて火の粉を防ぐと共に、店蔵の土戸に味噌で目塗りをして焼失を免れたといいます。
街の復興にあたっては明治26年から30年にかけて蔵造りの街並みが形成され、それ以前の街並みを一変してしまいました。
当時の鳶職人の家造りの様子や、蔵の造りがわかる実寸大の展示物には圧倒されます。
川越のシンボル【時の鐘】は4代目
詳しくはこちらも『時の鐘』でお伝えしようと思います♡
もちろんこの時の鐘も川越大火で焼失し、翌年1894年に関根松五郎の設計で再建されたものです。
最近では2015~17年にかけて耐震化工事が終了しています。
住民からは『鐘付銅(かねつきどう)』の愛称で現在も親しまれています。
ティーラウンジでホット一息
説明はここまでです♡
入り口入って右手にあるティーラウンジ。
こちら入館券を提示するとお得になるようです。
博物館で下準備はバッチリ!!!
さぁ、川越をお散歩しましょう♡